桜の智力 世阿弥の一座建立の精神みなぎる
三寒四温の時節が過ぎ今年は、桜が早咲きのせいもあって、長い間、桜の美しさを愉しむことができた。年度替りの何かと慌しい世事の中で、ふと桜に出会うと、足を止めたり、振り返りたくなる。
一年の大半をどちらかというと木肌のゴツゴツとした黒っぽい桜木は、人目につかず、ひっそりと、この一瞬の開花期のために生命を燃やしているようだ。日頃、木立に埋もれ、「こんな所にも桜木があったのか」と、この時とばかり咲き競う桜に驚かされることもある。
数年間の短いお付き合いだったが、嫋々(じょうじょう)しく、ふくよかな感性で会社のマドンナとして、私たちを包んでくれたKさんも3年前、桜が突風に散るように急逝してしまった。この季節の桜を目にする度、やさしいKさんのことを想い出す。花の命は短くせつない。良く、人の一生に喩(たと)えられるが、咲いた花の美しさは、いつまでも人の心の中に咲き続ける。
満開の桜よりも、残花の方が美しいという人もいる。
美しいというより、いつの日か古典で習った、哀れということばに近いのかもしれない。この時季になると、人々は、「いつ散ってしまうのか」と自問をしながら、散りゆく桜を、人生や世事、と重ねながら、物想いに耽る人もいる。凡人は満開の桜を眺め、人生を謳歌したいと想うのだが、現実はままならない。
岡倉天心が茶の本の中で花と茶人の生涯についてこう記している。
美しいものとともに生きたものだけが美しく死ぬことができる。偉大な茶人の最後の刹那(せつな)は、彼等の生涯がそうであったように、得もいわれぬ風雅に充ち満ちたものであった。つねに宇宙の偉大なリズムとの調和のなかに生きようとつとめたから、彼等は未知なるものへと入ってゆく用意がいつでもできていた―と。
茶人とは、利休であるが、利休の庇護者だった太閤秀吉は、この偉大な茶人に対し、深い敬重の念をもっていたが、時としてその友情は危険な名誉をはらんでいた。庇護者と意見を異にする場面でも利休は何事にも、怖れずたじろがなかった。時は戦国、裏切りに満ちた時代であったため、利休は敵の陰謀によって、死に追いやられてしまう。天心は利休の生き方を花に喩えた。花は人間のように卑怯者ではなく、死を誇りとするものもある。日本の桜の花は、風の前に自分を惜しげもなく任せるとき、たしかにそんな想いを抱かせる。「美しいものは、利休の心なのだ」と。
4月のはじめ職方衆が、相模原の土手にしつらえた花見の席に、会社の人たちを招いてくれた。生憎と、当日は、宴席が始まって間もなく、春嵐のような荒天に見舞われた。30分程の強風、強雨をにわか造りのブルーシートの屋根でしのいだあと、職方の心意気が天に通じたのか、ブルーシートの屋根越しに陽光が差しこみ、嘘のように晴れ渡った。そう云えば、去年、同じ花見会では開花時期が予想より大巾に遅れたため、蕾桜の花見会となった。この時も職方は知恵をめぐらし、誰彼となく、満開の桜の小枝を見つけて持ち寄り、宴席に彩りを添えてくれた。
70人余りの参加者が、小枝の桜を囲んで花見を満喫した。もともと、桜の花の美しさは遠望にある。萌え立つように緑白色の春の山並みに、うっすらと薄紅色のかすみが、かかったように桜花が漂うことにあると思っていた。近くで見る桜の花見は、小枝一本で十分だった。
桜の季節になると、人々が桜の力を借りて、ものごとに積極的になる。学業も仕事も、期を同じくして、この時季に新しい期を迎える。雑事を忘れて、勇気を得る人もいる。桜には、そんな力がある。
美しいのは、桜だけではない。新年度を迎える人々や職方の花見会をしつらえる心の中に「今
年もやるぞ」という世阿弥の、一座建立の精神がみなぎっている。潔さ、儚さ、可憐さを超えた花の息吹と智力に、この季節、いつも驚かされている。