人間不信と混迷 ライブドア事件の意味すること
年末から年始にかけて日本海の沿岸地域は未曾有の豪雪に見舞われ、関東圏でも度々雪が降るようになった。異常気象が続いている。世の中も、異常気象に呼応するように耐震偽装事件にはじまり、「東横イン」の不正改造、″ホリエモン〟の粉飾決算事件等、想定外の人間不信事件が後を断たない。
異常気象がもし核開発や自然体系を無視した資源消費に遠因しているとしたら、相次ぐ社会の不祥事は、真の生きがいを見失い、人間が人間であることを忘れた人間不信に根差しているとは想えないだろうか。
人間不信はともするとカネ主義に陥りがちだからである。
18世紀初頭、1980年代の日本のバブルの語源になった南海泡沫事件(South She Bubble)が起こった。詳細は省くがイギリスの財政危機を救うために意図的に吊り上げられた南海会社の株と国債を時価で交換することから始まった。
常軌を逸した投機ブームによる時価の高騰と暴落、そして混乱。
結果、株価は数ヶ月で元に戻ったが、この混乱の間で南海会社に関与していた理事や政治家がたくさんの賄賂を受け取っていた。当時、株について十分な知識を持たない人々が、投機熱にのぼせたことも日本の今日の状況と似ているように思う。
株式分割、自社株の高値売り抜け、資産粉飾といった今回のライブドアの事件は、今に始まったことではないのである。まさに歴史は繰り返すである。
ライブドアは、国際金融界では、未整備といわれる日本の証券市場、とりわけ証券取引法や会社法の陥穽(かんせい)を突く形で登場した。
風評や意図的な操作で株式交換、株式分割を繰り返した。手法は転換社債型新株予約権付き社債発行という、舌を噛みそうな行為を担保に外貨から800億を借りうけ、株価を吊り上げ、160億の見返りを外資に上納しながら、粉飾利益を膨らませていった。
当然堀江氏だけのアイデアだけではなく、国債金融に精通した黒子が複数いるはずである。証券取引の先進国である欧米の証券取引委員会(SEC)に相当する機関を設け、やましい取引に対し厳しい監視のシステムをひかないと、無法がますますまかり通ってしまうような現状なのである。
異論もあろうが、堀江氏と、かつて未公開株を政治家や官僚に譲渡して逮捕されたリクルートの江副氏は似ている。
いずれも東大文Ⅲ出の偏差値エリートである。在学中から、株と不動産に異常に固執するおタクだったという人もいる。今でも江副氏は、資産運用型の不動産会社を経営しその手腕は評判である。偏差値エリートは、数値的にものを拡大することが得意で集中力があるらしい。
反面社会への貢献や、人間関係となると極めて苦手のようであるように想える。このことは、日本の教育問題と関係している。
戦後60年が経過し、マッカーサーの来日以来、日本は、米国主導で一見民主的といわれる米国型の政治、行政システムを導入して来た。ただし、マッカーサーはコミッショナー制度のような監視システムを、権力者が主導権を取り続けるために、故意にはずしたといわれている。
おかげで脅威の復興と経済成長を遂げた。
しかし今日、周りを見渡すと、日本人自らが創り出した基準や物差しが見事に消えうせていることに気付く。戦前は政治的な基準はともかく、日本人が何によって生きがいを見い出し、長い歴史と伝統文化に根差した生き方を知っていたように思う。
「混乱」とは秩序がなく、乱れていることをいう。「混迷」とは、基準がなく、場を失っている。と考えれば、戦後は、米国の主導・基準で、混乱から這(は)い出ることができた。私たちは60年経った今日、未来を志向するための、新たな基準を、自らの手で、見つけられずに混迷しているといえなくもない。大事なことは、未だに米国主導である。
ライブドアの事件は、証券取引に関する明確な基準がなく起こった事件、耐震偽装や不正改造は、守られるはずの建築基準法が基準ではなくなっているによって起きた事件、政治家の大半も世の中を活性化する実務や実体を統括する経験のない七光り組がリーダー候補としてささやかれ、本質的な意味で、リーダーとしての基準がないこと、等、混迷が群をなしている。
民主主義は、人間の知恵が創出した素晴らしい政治システムであるが、その前提は賢い国民がいてはじめて、威力を発揮するシステムである。私たちが賢くなければ、この国は危うい。混迷を解く鍵は、もう一度、比類のない自然と日本に根付いた、独自の風土と、そこに活きるやさしい人間関係を見つめ直すことである。そして自立すること、また、そのための基準を創ることである。「正直・親切」ということでもいいと思うのだが。